最近、東大に来ることがちょくちょくありますが、
歴史のある建物が現存しているので楽しみな場所です。
今回は、カフェイベントとカフェイベントをつなぐということを、
実験的に行うということで、
Google handauot で京都会場とつなぐ試みをしています。
「自画持参」が「がちゃトーク」にかわるということ。
長岡健先生(法政大学経営学部教授)
▼長岡先生の領域
人材育成のエスノグラフィー
人事関係者(researched)を参与観察し、
ストーリーテリングによって「人事関係者=readers」にする。
▼「判断を留保する」という態度
・エスノメソドロジー的無関心
・The Agunosticism of the observer
良い悪いを判断するのではなく、淡々と記録して、
価値判断をせずに見ていく。
▼自画持参(Bring Your Own)
コミュニケーションの場をデザインすることの意味と方法を再検討するプロジェクト
・双方向&カタルシスへの違和感・・・
「教える/教わる」という関係を揺さぶる
「シナリオ通りの進行」の心地よさを揺さぶる
・私が参加したい場をつくるつもり・・・
「あの人に来てほしい」と思った人に声がけ
第0回から始まり、第0.5回、第0.9回へと続く
(なかなか1回にはならない、完成系を目指したプロジェクトではなくて、
ゆるゆると。)
いいコミュニケーションの場をつくりたい!という強い意思があったわけではなく、
双方向などの考え方や場に違和感があった。
★「自画持参」http://www.youtube.com/watch?v=DLdkAnkDPfY
※山崎亮さんも参加していた。
▼がちゃトーク・・・として他の文脈へ。
自画持参というなかから、がちゃトークだけ外にだしてみた。
▼イブニング・ダイアローグ@代官山
「参加型」とは言っても、「リアクティブな参加」にすぎないようにも思えます。
でも、私達は、「リアクティブな参加」に違和感を覚えることなく、
心地よさを感じています。
・・・どうも私達は、「教える/教わる」という役割関係を保持する、
予定調和的な時間の流れと場の構成に慣れすぎているようです。
▼ギャラリーMALL
「がちゃトーク」に対する研究者のコメント
・がちゃ玉がノスタルジックな気持ちを呼び起こす。
・ゲームフィケーション的な要素による偶然性
※がちゃ玉がそもそもの文脈(自画持参)を超えて、
ツールになってしまった。(脱文脈化)
なぜワークショップ?
加藤文俊先生(慶應義塾大学環境情報学部教授)
ワークショップという言葉が流通してきて12〜3年立っているので、
そもそもの意味を考える必要がある。
ideas 問題意識
↓
Name 名前を付ける
↓
Practice カタチにする。
※コンセプトがしっかりしていればコンテンツは決まってくる。
▼ワークショップに当てはめてみると
学び
↓
ワークショップ
↓
場づくり(時間/空間、プログラム、ファシリテーション、参加者)
※「型化」していくことにより、
もやっとしていた「学び」の部分が忘れられていくのではないだろうか。
(必ずしも悪いことではない)
▼<型>(パターン)の発見
コンセプト+実現方法
・複製/量産できる
・改変/カスタマイズできる
・流通する/共有できる。
※ワークショップと場づくりが切り離されて、
「学び」の部分が切り離されてしまっているのでは?
▼ワークショップのファクトリー化
・ファクトリー → 大量生産
・ラボ → 材料だけあって、好きな人(参加者)が好きなように作る。
※「ワークショップは万能」という考え方はそろそろ見直すべきでは。
→逆転させて、場づくりから見ていく
そもそも何をやりたかったのか?
切り離された「ワークショップ+場づくり」の運用に意識が向いてしまっている?
▼まとめ
・いつのまにか、切り離しちゃったよね=ワークショップが道具となってしまった。
(ワークショップを否定するつもりはないけど)
・活動のうえではワークショップであるが、
ファクトリーだったりラボだったりする場合がある、
別のメタファーで語られるべき場づくりにどれだけ敏感でいられるか。
・振り返り
ワークショップをやってみて失敗しても別のワークショップを探すのではなく、
学びをテーマとしているのであれば、振り返りと見直していくことが必要では。
ディスカッション
長岡先生:再現できないことに魅力を感じた。
一から作り上げることがワークショップの魅力では。
加藤先生:ファクトリー化されたものをワークショップと呼ぶ人もいる。
森さん:なにかをよくしたいという考え方をしたい
フィールドによってワークショップを洗練化さえていく
長岡先生:魅力を感じるのは、経営的な発想をしないワークショップ。
食事タイム
今回のお食事は、法政大学 長岡研究室でフードデザインを研究している、
中江さんのケータリング。
がちゃトーク
最初に自分の名前を書いた紙をがちゃ玉に入れて、
その次にテーマとしたい内容を同じように紙に書いてがちゃ玉へ。
最初にテーマを引いて、そのテーマについて個人で2分間考え、
名前の方のがちゃ玉を引き、3分間の発表(誰が発表するかはランダム。)
それからグループで10分間のディスカッション。
■1回目テーマ
「味方ばかりのWS、敵もいるWS、無目的者もいるWS、
WSでやっちゃうか、ファクトリーやラボでやるか」
・発表者:東大 高橋さん
見方も敵も無目的者も属性の違う人が3人いればいい方向になりそう。
ワークショップとグループディスカッションはどう違うのか?がいつも疑問で、
ヒントが欲しかった。
ファクトリーという言葉には批判的だった話もあったが、上手く行くのでは?
高橋さんの話を受けて、グループで10分間のディスカッション。
■2回目テーマ
「ワークショップは参加者のためのワークショップなのか?
主催者のためのワークショップなのか?」
・発表:東大 安斉さん
結論は両方。
ワークショップは一方的にやるもんではない、
参加者も巻き込みながら、行うのがワークショップ。
道具化されるとともに、
自分にもフィードバックがある。
主催者が満足してしまったら、ワークショップは辞め時かも。
■3回目テーマ
「なぜワークショップに興味があるのですか?」
・発表:東大 舘野さん
ファクトリーとしてのワークショップ等を考えた時、
先生方はなぜワークショップのファクトリー化を考えたのか?
何かを解決したいと考えると洗練されてファクトリー化していくのではないか?
薬みたいなものでは?
質問タイム
Q:ワークショップとファクトリーとラボの違いがわからない。
・ファクトリー
ファクトリー化はダメではない、
時間の流れでワークショップを見た場合、
非常にシステマチックなものに一人歩きしているのでは・・・・
・ラボ
場を表現するための言葉
実験室
ラボってもののラベルが世の中に溢れて来ている、
ゼミと研究室の違いなものかも。
みなさん、おつかれさまでした。
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