2019年11月11日(月) ワークショップのデザインとは

2019年11月11日(月) ワークショップのデザインとは。苅宿先生セミナー

■苅宿研究室の前提条件を紹介します。
 ・研究領域は教育学
  教育工学+学習科学=学習環境デザイン+ワークショップデザイン
  =学習コミュニティデザイン

自律した個人が他社と協働して新しい価値を生成するための教育プログラムの開発

■アートワークショップを活用した授業開発
 芸術表現・体験活動+省察=資質・能力の発見、定着

■狩宿の座右の銘
 面白くなければつまらない

■多元共生社会と「大人の学び」
 多元社会=細分化・複雑化<多元>
 共生社会=協働化・安定化<一元>

 多元共生社会と「大人の学び」
 相反する概念をあたかも融和できるかのように書いている

■NHK 欲望の資本主義2018

■正解のない問いを考える
 
■多文化主義は共生できるのか?
 →教育学のジレンマ

■教育学のジレンマ
 ・教育による平和
 ・コメニウスの世界図会

■コメニウス
 ・現在の学校教育のしくみを構想した。
  同一年齢・同時入学・同一学年・同一内容・同時卒業
 世界で初めて絵入り教科書を作った。

■移民の国ドイツでの教育現場
 ・人の話をちゃんと聞くトレーニング

■多元共生社会と「大人の学び」
 教育学では、近年、
 ペタゴジートアンドラゴジーの2つの概念を合わせて使っている。

■多元共生社会と「大人の学び」
・全体は部分の総和より勝る(アリストテレス)
・対立という共通項(メタ論理学)
 →ジレンママネージメント
 
・教育プログラム開発の基本
 「マッチングとフィット感」

■正解のない問いを考える?
 <WSD履修プログラムの作り方>
 どんな学習環境で実践共同体への参加として。

■正統的周辺参加=学習
 ・徒弟制での新参の弟子の観察から徒弟的な学習は所属する
  社会的実践共同体への参加の度合いを増すこと
 ・WSDは正統的周辺参加のモデル化

■たけしのアートビート
 束芋さん
・自分自身の発想力を見つけ出すための授業をずっと受けていた

 多面性を見つけないとやばい
 他者との関係の中で気づく

■メタ認知
 第1層 感覚=体験
  体験している自分・していた自分

 第2層 印象=個性
  自分の印象に残ったこと

 第3層 抽象=思考
  学んだこと=抽象化した意味づけ
 
■協働的な関係性を意識するため名前と言葉に変化をつけたい
 WSネームと不必要な敬語の抑止
 身体的な直感を大事にする

 ・ WSネーム=ニックネームの想像
 ・後輩の「遠慮という排他」を抑止
 ・Flat Importance 重要性の平板化 肩書き外し

■ヴィゴツキー 発達の最近接領域
 発達の際近接領域=学習
 正統的周辺参加
 
■慣れてきた=とても重要
 ・できるようになってきた・わかるようになっていく
  →できるようになってきた場合にどうするか。
  →自己効力感(教育の仕事)

■ディスカッション
 Q:スキルを教えるというよりは活動を教えているが、
   どれくらい学習目標を教えればいいのか。
 A:学習能力はスキル
   メタ認知能力→自明性(自分の当たり前)
   学習って何かということに気づいてもらう。

 Q:(ビデオを見て)子供に目標を伝えてもいいのか
 A:子供に目標を伝えても意味はない、自由意志。
   学習者の意思をどう大事にするのか。

 Q:ワークショップをするのだが、職場に持ち帰れるのようにしてくださいと言われる
 A:各部署でゴールを設定する。どのくらいお金を突っ込んでやるのか。
   細かい目的を立ててそこに注力する
   ワークショップを理解できない人には投資しない
   残っている人をどう育てるか

 Q:最後の話をワークショップに落とし込む方法を教えて欲しい
 A:ジレンママネージメント
   一人とグループをどう作っていくのか、
   時間で何をするのかのフォームはある、
   無理なお題もある。
   
   地方の小学校が合併し、応援団が3チームあるが揉めている
   →3チームを混ぜて、簡単なワークを行わせる。

 Q:研究所を作った趣旨
 A:学習というものをコミュニティとして捉える事を考えるために作った。
 
 Q:1.型を大人に試すことはどうなのか。
 A:1,新聞で読まないで、ネットで情報を得る事は危険
    →記者を応援しなければならない
    →コピー屋はAIになる
    ワークショップにも型がありますよという。
    情報の断片をまるっとコピーすることを専門性にしてしまうのは危険。
    フォームにこだわると柔軟性がなくなる、が形なしは良くない

 Q:大人のフォームには型がありすぎるが、教育と能や狂言などとの違いは。
 A:かけ算は歌うように覚えるがみんなそれでOKなわけではない、
   一定以上のフォームが必要

 Q:2.大人同士で学習したいと思い集まることがあるが、
    自明性にこだわり、いいコミュニケーションができない、型が古い
    (飲み会など)
 A:会話というものと対話というものを区別する
   対話という形に持っていく。

 Q:学校現場がもっと創造性を持ってできるかを考えている。
   教員の考え方が旧態依然としている
 A:問いとは何か?を問う
   日本としてグループできる学校はない
   秋田県なんかは一番ひどい時で6人ぐらい、
   同じ学校として語れない
   経済格差によって学力に差がある。
   改革すればいいとうわけではない。
   村の教育は3人いれば変えられる、

 Q:アウトプットを自発的にする人が増えているが、
   小学生などはどうするのか。
 A:小学校3年生くらいになると覚えていない、
   それ以上だと他者の目を俯瞰できる力がついている
   ほぼほぼ無理してリフレクションしなくて良い、
   むしろワークを行なっている顔を見たほうがいい
   コンテンツとして面白いからまたやりたい!というようにする。

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